生活保護のCWだけど質問ある?
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貧困をテーマに取材することが多い、ジャーナリストの吉川ばんびさん。自身も幼少期から貧困や家族によるDVを経験してきた。だが、生活苦に陥った人を取材した記事がネットに公開されるたびに、その人を批判するようなコメントが多くつくという。一体なぜなのだろうか?(以下、吉川ばんびさんの寄稿)
◆「親ガチャ」が流行語になったことの意味
「親ガチャ」という言葉が、ユーキャンの2021年新語・流行語大賞に選ばれたことに複雑な気持ちになる一方で、少なからず、ある種の期待のような感情も覚えている。
これまで世間では、社会的格差や経済格差について語られるとき、多くの場合は「努力さえしていれば落ちこぼれない」といった意図の発言がメジャーだったのだけれど、コロナ禍で失業したり困窮したりする人が続出し、貧困が「他人事」ではなくなったことでようやく「生まれた環境の差」や「自分では変えようのない、固定化された格差」を多くの人が実感し、見過ごせない段階になったのだと思う。
◆困窮した人に「自分が悪い」と言いたがる人たち
そういった意味で2021年は変化の年でもあったと感じているが、その反面、「コロナ禍を生き抜いた人々」たちと「コロナ禍で打撃を受けた人々(貧困層)」の間には、さらに大きな分断が生まれたとも言える。
例えば先日、コロナ禍で生活困窮に陥った人を取材した漫画を掲載した『週刊SPA!』の記事に対して、その当事者を嘲笑、批判するようなコメントがいくつも書き込まれていた。
「選ばなければ仕事はいくらでもある、肉体労働は嫌だとか介護は嫌だとかわがままを言うから貧乏になる」
「生活保護を受ければいいのに、どうせ変なプライドで受けてないだけだから自業自得」
「就職氷河期とはいえ、非正規雇用を早く脱さないと、と気付けなかった自分が悪い」
◆「私は乗り越えた。できないのは怠慢」という生存者バイアス
貧困は自己責任。「就職氷河期もコロナも自分の力で乗り越えてきた」という自負がある人のなかには生存者バイアスがかかっている人も多く、「自分ができたのだから(普通に努力すれば)誰でもできるに違いない」と考えるゆえに「できなかった人」を「ただの怠慢」だとみなして、憎悪の対象にしてしまうことがある。
このような考え方は非常に短絡的であるし、なんら根拠もなく「自分ができたのだから、失敗したのはその人に責任があるはずだ」と、ただ自分の溜飲を下げるために「自分より劣った」「叩いてもいい」対象を見つけて暴論をふりかざしているにすぎない。
◆生まれつき「持っていない」人たちがいる
新型コロナ感染症の影響で失業した人や解雇された人が激増しているとはいえ、その割を食ったのは多くの場合、女性や非正規雇用者であり、もともと「中流」以下の生活を送っていた人たちである。そうした貧困化のリスクが高い層は長い間、多くは本人が生まれる前からすでに格差が固定されていて、下層から上層へと上がって行くことが非常に困難である。
固定化された格差を崩壊させることは個人の努力では不可能だし、貧困を脱するのに必要な文化資本、知的資本、社会的資本を「生まれつき」持っていないために、そもそも中流以上の家庭に生まれ育った人々とは条件があまりにも違う以上、比較のしようがない。
◆「住所不定無職」になるまではほんの一瞬
突然解雇を言い渡された場合、次の仕事を見つけるまでに家賃が支払えなくなって、賃料を延滞したり家を追い出されたりすることもある。低賃金ゆえに生活に余裕がなく、親に仕送りをしているなどの事情で貯金が十分になければ、「住所不定無職」になるまではほんの一瞬だ。
◆家を失って、悪循環を抜け出せない
家がなければ、安定した仕事を探そうにも受け入れ先が見つからない。そしてスマートフォンがないと採用担当者とのやりとりも難しく、職探しは困難をきわめる。こうした悪循環にはまってしまうと、そこから抜け出すのは容易なことではない。日雇い派遣などの仕事をこなしていても、家を借りるには初期費用だけでも数十万円はかかるし、そもそも審査に落ちやすい。
家がなければ就労は難しい。安定した仕事がなければ、家を借りることもままならない。
◆生活保護の窓口で追い返されることは多い
生活保護制度に頼りたくても、窓口で「まだ若いから働けるでしょう」「家族に援助してもらってください」と追い返されてしまうケースは多い。そうしてセーフティネットからこぼれ落ちた人々を支援に繋げようと、民間のNPO団体など支援者側がいくら努力してアウトリーチ(行政や支援機関が積極的に働きかけて、生活困窮者に情報や支援を届けるプロセスのこと)しようとしても、困窮者が情報をキャッチできず、その網目にすら引っかからない人たちも存在している。
そうした人々の存在がこのコロナ禍でメディアに大きく取り上げられるなどして、多くの人の目に留まったことは非常に意義深いことだと思っている。
「親ガチャ」という言葉は、もう努力してもどうにもならないほど追い詰められてしまった人たちの悲鳴が言語化され、共感を集めたものではないか。
<文/吉川ばんび>
【吉川ばんび】
1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中。著書に『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 twitter:@bambi_yoshikawa